どうして大人になると昆虫に触れなくなるのか

子供の頃は大好きだった昆虫が大人になると触れなくなったという人も多いのではないでしょうか?

私もそのうちの一人です。

小学生の頃は暖かい季節は毎日虫取りに出かけ、夏休みは朝から晩までずっと草むらでカマキリを探して虫取り網を振り回していました。

それにも関わらず、昨年の夏に道を歩いていたカマキリを触ろうと思っても手を伸ばすことができずに驚いたことを覚えています。

あれだけ好きだった昆虫に、なぜ大人になると触れることができなくなるのか。

ふと、気になったので少し考えてみることにしました。

虫取り少年時代

私は中学受験のための受験勉強を始める小学5年生以前までは、毎日のように虫取りに出かけていました。

当時の私にとっての一番の”大物”はカマキリで、特にオオカマキリが大好きでした。

毎日虫取りをしていたとはいえ、当時の私に苦手な虫がいなかったわけではありません。

昆虫の中で最も魅力を感じなかった昆虫は蝉でした。

そのため、蝉取りだけは友達との付き合いでしかしていませんでした。

また、苦手な昆虫としてはクツワムシやキリギリス、コオロギなどが挙げられます。

クツワムシやキリギリスが苦手であった理由は顔が不気味だったからです。

特に、キリギリスは大きな腹部と顔が気持ち悪くて今でも近寄ることはできません。

コオロギが苦手だった理由はゴキブリ(以降、Gとします)に似ているから。

Gは気色の悪い見た目に加えて飛んでくるので不快感しかなく、Gに似た光沢を放つコオロギは好きになることはできませんでした。

昆虫が苦手になったきっかけとなる経験

苦手な昆虫が少しあるものの、基本的には物怖じせず虫取りを続けていた私。

そんな虫取り少年が、今思い出しても鳥肌が立つ経験をしたことをきっかけに草むらに入ることができなくなってしまいました。

それは小学校4年生の夏休みに家族でキャンプに出かけたときのこと。

普段住んでいる家の近所と違って、自然豊かな山に囲まれたキャンプ場は私にとって天国のような環境でした。

キャンプ場付近の野原で虫取りをして、疲れたのでテントに戻って干してあった顔を拭いたときに”その出来事”は起きました。

タオルで汗を拭いたところ、「ジョリッ」という感触が頬を撫でました。

疑問に思ってタオルに目を向けると、そこにはなんとキリギリスがついていたのです。

今書いているだけでも鳥肌が立ってきました。

まさか顔を拭いたタオルに自分が大っ嫌いなキリギリスがついているなんて予想したこともなく、その瞬間にタオルを投げ出して顔を必死で洗いました。

顔を洗った後は虫取りをやめてキャンプ場のアスレチックの遊具で遊んで一夏が過ぎ、翌年からは受験のための夏期講習に追われて自然と虫取りから離れることになりました。

思い返してみて初めて気づきましたが、私が虫取りを辞めたきっかけは受験ではなくキャンプ場での出来事がきっかけでした。

昆虫をみるとあの頬の感触を思い出し、今でも昆虫に近づくことに抵抗を覚えるようになっています。

幼い頃に刷り込まれた恐怖心といったものを拭うことは難しいようです。

皆さんにも、昆虫が苦手になったきっかけはありませんか?

昆虫に触れなくなる理由

私には明確に昆虫が苦手になったきっかけがありましたが、そのような出来事がなかった人もいるでしょう。

そうであるにも関わらず、昆虫が苦手になった人はまだ首を傾げているはずです。

そこで、私は一つの仮説に思い至りました。

それは「私たちにとっての昆虫の定義が昔と違って変わってしまったから」という説です。

子供の頃は好奇心に身を委ねて虫取りをしていたという人がこの記事を読んでくださっている人のほとんどだと思います。

かつて虫取り少年/少女だった当時は「昆虫」という言葉を聞くと様々な虫を思い浮かべていたのではないでしょうか。

カマキリやカブトムシ。

クワガタに蝶にナナフシやトンボ。

はたまた水生のミズカマキリやタガメなどなど。

思い浮かべる「昆虫」は多種多様でした。

それが今となってはどうでしょうか?

「昆虫」と聞くと「昆虫=虫」

「虫=Gやコバエ、クモ、カメムシ」

このように頭の中で「昆虫」というワードから身近で見る機会や意識する機会が多い虫にどんどん連想されていきます。

最終的には「虫=G」というように脳内で良い印象を持っていない「虫」と紐付けされてしまったことで「虫」に対して嫌悪感を抱くようになったのではないかと私は考えています。

虫取りをしなくなった大人にとって、身の周りの「虫」はかつてワクワクを与えてくれた存在ではなく、自分たちにとって「害」や「不快感」を与えるものしか居なくなっていたのです。

自分に「害」があるものに対して本能的に嫌悪感を抱いてしまうことは自然の摂理。

たとえかつて夢に見るほど追いかけ、今も嫌いではないカマキリを目にしても何故か手を伸ばすことができなかったことは不自然なことではなかったのです。

カマキリも「虫」であることは事実で、私の脳が「虫=G」という印象を抱いているのですから目の前にいるのは「カマキリの見た目をしたG」です。

「大好きな見た目をしているのにGである」という事実は不気味以外のなにものでもなく、私がカマキリを触れなくなったのは仕方のないことと言えるでしょう。

それでも興味自体はある

今では昆虫に触れなくなってしまった私ですが、今でも昆虫に対しての興味や関心が残っているのだなと感じた瞬間があります。

それは娘を連れて地元の昆虫館に訪ねたときのことでした。

初めて昆虫を見た娘は興味津々で、楽しそうに標本を覗き込んでいました。

その姿を見ているうちに私もいつしか娘そっちのけで昆虫に見入ってしまい、その瞬間に「まだ昆虫が好きな自分がいるのだな」と感じることができました。

娘がもっと大きくなるといつかは虫取りに駆り出される日がやってくることは間違いありません。

その時には娘と一緒に昆虫と触れる時間を過ごす機会が増えると思うので、私にとっての虫のイメージがGではなく本当の意味での「昆虫」となるといいなと今は思っています。

まずは娘に昆虫の図鑑を買って興味を持ってもらうことから始めなければ。

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